2019年11月24日18:32
UFO出現や首里城の火災で、高野山のお話の続きが遅くなました。
高野山については、9月にブログでご紹介して以来になります。
高野山には、すでに行かれた方もいらっしゃると思いますが、私が訪れた時も多くの観光客が参拝されていました。
2017年の調査によると年間142万人以上の観光客が訪れたそうです。
以前ブログでもご紹介しましたが、高野山は他の観光地に比べ、決して交通の便が良いとは言えません。
それでも、多くの観光客が訪れる高野山には、人々を惹きつけるどんな魅力があるのでしょうか?
そして、高野山に修禅の場を開いた空海とはどのような人物だったのでしょうか?
知れば知るほど、その類希な才能と数々の功績から高野山の人気の秘密が見えてきます。
そこで今回は、空海について簡単にご紹介致します。
☆空海は、日本に密教を伝えた人物として知られていますが、
小説や映画の主人公としても取り上げられる一方で、
実在した人物としては、驚くほど多くの功績を残しています。
空海が生まれたのは、
奈良時代末の宝亀(ほうき)5年6月15日、現在の香川県善通寺市(ぜんつうじ)で、
父 佐伯直田公(さえきのたぎみ)の三男として生まれました。
父の佐伯直田公(さえきのたぎみ)は、讃岐国多度郡(香川県)の豪族で、官職は多度郡少領。
つまり多度郡を治める役人のトップで、現在の市長のようなものだったと思われます。
空海の幼名は真魚(まお)といいます。
15歳のとき、上京して学問を学び、18歳の時、大学の明経科に入りますが、
官吏(かんり:役人)養成を目的とした立身出世のための勉強は、空海が求めていたものとは異なっていたため、大学を中退し仏道に進む決心をします。
四国や奈良県吉野の山々をめぐり修行を重ね、やがて僧侶として名前を「空海」と改めます。
31歳のとき、遣唐使船に乗り、唐に渡る機会を得ます。
しかし、唐に渡る途中で暴風雨に遭い船が難破し、34日間の漂流の後、ようやく首都長安にたどり着く事ができました。
長安では、真言密教の最高権威である、
恵果阿闍梨(けいかあじゃり)に会う事ができました。
すると、彼は空海を見るなり、こう言ったそうです。
「我、先より汝の来る事を知って、相待つ事久し。報命尽きなんとして付法に人し……」と。
つまり、空海が来ることは、前々から知っており、長らく待っていたと言われたそうです。
そして、空海に真言密教の教えをすべて授けました。
空海も驚異的な速さで教えを修得し、当時3000人とも言われた弟子の中で、日本人でありながら、その正式な継承者となったのです。
帰国後、真言密教を流布し空海のもとには多くの僧侶が集まり、当時仏教界のスターとも呼ばれる日本天台宗の宗祖・ 最澄(さいちょう)も弟子入りしたと言われています。
空海の凄いところは、唐に渡った時に密教だけでなく、唐の文化や土木技術、薬学をはじめ様々な分野を修得し功績を残した事です。
中でも、有名なのが香川県にある日本最大の灌漑(かんがい)用の溜め池「満濃池(まんのういけ)」を、唐の技術を導入して水害を防ぐために行った修築工事です。この池は、現在でも利用されているそうです。
この他にも道を開き、橋を架け、井戸を掘り、漢方医学を伝えています。
また、中国語や梵語(ぼんご:サンスクリット語)などの語学も堪能で、
書道では三筆(さんぴつ:書道史上最も優れた三人)の一人と言われています。
ちなみに、優れた三人とは空海、嵯峨天皇、橘 逸勢(たちばな の はやなり)です。
美術においては弘仁(こうにん)期以後の仏像・仏画に大きな影響を与えたと言われています。
さらに、日本最初の私立の教育機関「綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)」を開き、教育の機会均等を実現しました。
身分に関係なく庶民に門戸を開き、教育や各種学芸の綜合的教育を目的にした私立学校を設立するなど、教育にも力を注いでいたと言われています。
まさに、天才的としか言いようがありません。
空海といえば、一般的には宗教者というイメージが強いですが、その一方で、実在した人物としては非常に多くの偉業を成し遂げています。
ここが空海の凄いところであり、魅力でもあると思います。
そして、真言密教の継承者としては、弘仁七年(816年)、多勢のお弟子さんや職人さんと共に、木を切り、山を拓いて高野山に修禅の場として、金剛峯寺[こんごうぶじ]を創建します。
真言密教確立のために精力的に務めました。
終焉は、承和(じょうわ)2年(835)、62歳で高野山において入定されました。
「入定」とは、永遠の瞑想に入ることを言います。
空海は、奥之院で今もなお生き続け、世の中の迷える人や苦しむ人々を救うため、永遠に祈り深い瞑想に入ったと言われています。
それから86年後の延喜(えんぎ)21年(921)には、醍醐天皇から「弘法大師」の諡号(おくりな)を賜りました。
空海が「弘法大師」や「お大師様」と呼ばれるのはその為です。
次回は、弘法大師・空海と四国八十八ヶ所の関係についてお話しします。
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琉球スピリチュアルヒーラー
桜季 希(おうき まれ)
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当日は、時間に余裕を持ってお越し下さい。
[鑑定料金]
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2時間以降8,000円
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[料 金]
お一人様1回3000円、全10回
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空海が開いた天空の都市、高野山・その2
カテゴリー │スピリチュアル
UFO出現や首里城の火災で、高野山のお話の続きが遅くなました。
高野山については、9月にブログでご紹介して以来になります。
高野山には、すでに行かれた方もいらっしゃると思いますが、私が訪れた時も多くの観光客が参拝されていました。
2017年の調査によると年間142万人以上の観光客が訪れたそうです。
以前ブログでもご紹介しましたが、高野山は他の観光地に比べ、決して交通の便が良いとは言えません。
それでも、多くの観光客が訪れる高野山には、人々を惹きつけるどんな魅力があるのでしょうか?
そして、高野山に修禅の場を開いた空海とはどのような人物だったのでしょうか?
知れば知るほど、その類希な才能と数々の功績から高野山の人気の秘密が見えてきます。
そこで今回は、空海について簡単にご紹介致します。
☆空海は、日本に密教を伝えた人物として知られていますが、
小説や映画の主人公としても取り上げられる一方で、
実在した人物としては、驚くほど多くの功績を残しています。
空海が生まれたのは、
奈良時代末の宝亀(ほうき)5年6月15日、現在の香川県善通寺市(ぜんつうじ)で、
父 佐伯直田公(さえきのたぎみ)の三男として生まれました。
父の佐伯直田公(さえきのたぎみ)は、讃岐国多度郡(香川県)の豪族で、官職は多度郡少領。
つまり多度郡を治める役人のトップで、現在の市長のようなものだったと思われます。
空海の幼名は真魚(まお)といいます。
15歳のとき、上京して学問を学び、18歳の時、大学の明経科に入りますが、
官吏(かんり:役人)養成を目的とした立身出世のための勉強は、空海が求めていたものとは異なっていたため、大学を中退し仏道に進む決心をします。
四国や奈良県吉野の山々をめぐり修行を重ね、やがて僧侶として名前を「空海」と改めます。
31歳のとき、遣唐使船に乗り、唐に渡る機会を得ます。
しかし、唐に渡る途中で暴風雨に遭い船が難破し、34日間の漂流の後、ようやく首都長安にたどり着く事ができました。
長安では、真言密教の最高権威である、
恵果阿闍梨(けいかあじゃり)に会う事ができました。
すると、彼は空海を見るなり、こう言ったそうです。
「我、先より汝の来る事を知って、相待つ事久し。報命尽きなんとして付法に人し……」と。
つまり、空海が来ることは、前々から知っており、長らく待っていたと言われたそうです。
そして、空海に真言密教の教えをすべて授けました。
空海も驚異的な速さで教えを修得し、当時3000人とも言われた弟子の中で、日本人でありながら、その正式な継承者となったのです。
帰国後、真言密教を流布し空海のもとには多くの僧侶が集まり、当時仏教界のスターとも呼ばれる日本天台宗の宗祖・ 最澄(さいちょう)も弟子入りしたと言われています。
空海の凄いところは、唐に渡った時に密教だけでなく、唐の文化や土木技術、薬学をはじめ様々な分野を修得し功績を残した事です。
中でも、有名なのが香川県にある日本最大の灌漑(かんがい)用の溜め池「満濃池(まんのういけ)」を、唐の技術を導入して水害を防ぐために行った修築工事です。この池は、現在でも利用されているそうです。
この他にも道を開き、橋を架け、井戸を掘り、漢方医学を伝えています。
また、中国語や梵語(ぼんご:サンスクリット語)などの語学も堪能で、
書道では三筆(さんぴつ:書道史上最も優れた三人)の一人と言われています。
ちなみに、優れた三人とは空海、嵯峨天皇、橘 逸勢(たちばな の はやなり)です。
美術においては弘仁(こうにん)期以後の仏像・仏画に大きな影響を与えたと言われています。
さらに、日本最初の私立の教育機関「綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)」を開き、教育の機会均等を実現しました。
身分に関係なく庶民に門戸を開き、教育や各種学芸の綜合的教育を目的にした私立学校を設立するなど、教育にも力を注いでいたと言われています。
まさに、天才的としか言いようがありません。
空海といえば、一般的には宗教者というイメージが強いですが、その一方で、実在した人物としては非常に多くの偉業を成し遂げています。
ここが空海の凄いところであり、魅力でもあると思います。
そして、真言密教の継承者としては、弘仁七年(816年)、多勢のお弟子さんや職人さんと共に、木を切り、山を拓いて高野山に修禅の場として、金剛峯寺[こんごうぶじ]を創建します。
真言密教確立のために精力的に務めました。
終焉は、承和(じょうわ)2年(835)、62歳で高野山において入定されました。
「入定」とは、永遠の瞑想に入ることを言います。
空海は、奥之院で今もなお生き続け、世の中の迷える人や苦しむ人々を救うため、永遠に祈り深い瞑想に入ったと言われています。
それから86年後の延喜(えんぎ)21年(921)には、醍醐天皇から「弘法大師」の諡号(おくりな)を賜りました。
空海が「弘法大師」や「お大師様」と呼ばれるのはその為です。
次回は、弘法大師・空海と四国八十八ヶ所の関係についてお話しします。
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平日、午前11時〜午後3時までの間、1日2名様限定で鑑定を行います。
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